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イントロダクション

ドキュメンタリー映画『沈黙−立ち上がる慰安婦』

 

◉2017年/117分/カラー/HD/日本・韓国/©朴壽南

 

2017年 第91回キネマ旬報<文化映画>ベストテン第6位

2016年 韓国DMZ 国際ドキュメンタリー映画祭 特別賞〈勇敢な雁賞〉受賞

2016年 ソウル国際女性映画祭 正式出品

2016年 空想の森映画祭 正式出品

2016年 ソウル老人映画祭 正式出品

2017年12月 劇場公開

公式サイト https://tinmoku.wixsite.com/docu

 

ハルモニたちは、半世紀の沈黙を破って立ち上がった

 

私たちは15,16,17歳の花のような年頃に、日本軍によって強制的に連行され、数年にわたり将兵らの恐るべき性暴力に蹂躙された被害者たちです。私たちは日本政府が要求に応えない限り、生きて国には帰りません―

今年90歳になる李玉先(イ・オクソン)さんは、1994年、14人の仲間と日本政府に謝罪と個人補償を求めて来日。「法的責任は解決済み」とする日本政府に対し、被害者だけが集まり直接交渉を開始した。李さんたちは、太鼓を鳴らして国会前に座り込み、記者会見や集会で生き地獄の体験を証言。3年にわたり名誉と尊厳の回復を訴え日本を訪れた。1989年から沖縄戦に連行された朝鮮人「慰安婦」と軍属の実相を追い、『アリランのうたーオキナワからの証言』(91年)で「慰安婦」問題を提起した在日朝鮮人2世の朴壽南は、被害者たちの闘いに寄りそい、その半世紀の恨を記録した。

2015年日韓両政府は「最終的かつ不可逆的」に慰安婦問題の決着に合意。ハルモニたちの名誉の回復とは何かー。私たちが問われていることは何かー。20余年前の映像に、半世紀の沈黙を破り真実を語りだした生き証人たちの声が響きわたる

 
公開に寄せて
 
(軍人に)陵辱された当時のことは辛くて悔しく言葉になりません。私たちは皆、両親にも誰にもその苦しみを訴えることさえ出来ませんでした。
20年前、同じ苦労をした仲間が集まったのです。多くの仲間が死んでいきました。
皆さん、あの戦争で何があったのか、知って下さい。
李玉先(イ・オクソン)90歳

スタッフ

●監督:朴壽南 

●撮影:大津幸四郎/ ハン・ジョング/チャン・ソンホ他

●編集・プロデューサー:朴麻衣  

●音楽:ユン・ソンヘ  

●うた : イ・オクソン  

●製作・配給:アリランのうた製作委員会  

●2017年/日本・韓国/HD/117分/ ©2017 朴壽南 

スタッフ

​​メッセージ

今回の『沈黙』から逆のぼって朴姉の映画を見てきました。この人しかできないと思う。とにかく強い。徹底した写体と被写体への切り込みには、ここまでやるかと息をのむ。在日を生き抜いた“恨”の哲学であろうか。

数々の受賞とその裏打ちにあると思うとうれしい。

もっと長生きしつつ権力と闘ってほしい。

 

金城 実(彫刻家)

 

『沈黙』は、二つの国に立ち向かい渾身の闘いを尽くした「慰安婦」被害者たちに、生涯をかけて密着し記録した、監督の勇気がきわ立つ作品である。

忘れてはならない悲劇の歴史を、一生にわたって記録した監督の神聖で崇高な勇気が、切実に輝いていた。

 

パク・ヘミDMZ国際ドキュメンタリー映画祭プログラマー)


作家には一生の中で、どうしても作らねばならぬ作品があります。『沈黙』は、そういう作品であると観ました。ハルモニたちの人生とスナムさんの人生が交差し、重なり、ずっしりと響く作品になっていると感じました。

「記録」が作品となって未来に残されていくことになり本当に嬉しく思います。

 

藤本幸久(映画監督/「圧殺の海」「笹の墓標」)

 


 

1940年代、戦争の時代を生きた女性たちは数十年間、重い沈黙を守ってきた。 映画『沈黙』は長い歳月すでに老女となった時代の女たちの恨(ハン)を掘り、その沈黙を破る偉大な叫びであるー。

 

イ・ジンスク(画プロデューサー) 

 

 

 
国家、軍隊、女性、これがどういうつながりにあるか。国家の権力が暴発する時にまず苦しむのは女性だということが如実に表されている映画。

これは残るべき映画であり残すべき映画であると思う。

 

関田寛雄(日本基督教団牧師・青山学院大学名誉教授)

 

 


 「記録なければ、事実なし」の土本典昭監督の名言は、この作品のために言われた言葉のような気がして映像記録の重要性を改めて認識した。

朴壽南監督の長年にわたる撮影素材の蓄積があればこそ完成したもので、

誰しも成し得なかった偉業と言える。

安井喜雄 (プラネット映画資料図書館代表)

 



『沈黙』は慰安婦についての「もうひとつの歴史」を私に語ってくれた。

監督と主人公たちは、歴史の片隅で心身に刻まれた戦争の残酷な記憶を沈黙させる韓国と、日本社会の両方に抵抗している。

戦後も当事者たちに沈黙を強いたこの社会を生きなくてはならなかった彼女たちの苦痛と証言。

そして彼女たちを記録してきた朴壽南監督の、もうひとつの沈黙。

彼女たちの長い年月の「沈黙」が声となり、広く鳴り響くことを願い、この映画を応援します。

 

キム・ミレ(ドキュメンタリー映画監督)

『NoGaDa(土方)』(05)『外泊』(09)第14回釜山国際映画祭,山形国際ドキュメンタリー映画祭



真心と誠意で作られた映画、そして正義のために作った映画です。

多くの人々がこの大切な映画『沈黙』を通し悲劇の韓国の歴史を振り返り、新しい歴史を生み出していく、そんな力を得られたらと願います。
 

ムン・ジョンヒョン(ドキュメンタリー映画監督)

『龍山』(山形国際ドキュメンタリー映画祭(11 )『境界』『崩壊』『おばあちゃんの花』

コメント

​解説

 

今から22年前、当事者たちが70歳前後だった1994年、「慰安婦」の名乗りを上げ、日本政府に謝罪と補償を求めて来日した15名のハルモニ(おばあさん)たちがいる。

日本政府は1992年宮沢喜一首相が「慰安婦」問題に対して初めて謝罪し、1993年8月には被害者16人への聞き取り調査を終え河野洋平官房長官が「慰安婦」における日本軍の関与と強制性を認め謝罪した。しかし個人補償は日韓基本条約にて解決済みとの姿勢は変わらず、いっこうに具体的な被害回復は進まなかった。

 

被害者の会のメンバーは91年頃より「慰安婦」の名乗りをあげ、支援団体である<韓国太平洋戦争犠牲者遺族会>や<韓国挺身隊問題対策協議会>にそれぞれ所属し、国家賠償を求める裁判の原告として活動するなどしていたが、運動に不信感を募らせ「私たちが運動の主人公なのだ」と独立を宣言し、自ら運営する被害者の会を発足した。日本政府に対するその最初の闘いは、94年1月25日、文玉珠(ムン・オクチュ)さんら3人による日本大使館前での抗議の割腹自殺(未遂)事件だった。

 

同年5月、永野法務大臣(当時)は「慰安婦は公娼だった」と発言し、怒りを爆発させた会員15名が「天皇に謝罪をさせ、日本政府の公式の謝罪と国家賠償を羽田首相に直訴しよう」と米とキムチを担いで自力で来日。「交渉に応じない限り生きては帰らない」と外務省へ申し入れ、首相の面会を求めて国会前に座り込んだ。11日間に渡ったその闘いは、日本国内の戦後補償運動のネットワークから支援を受けられず孤立無援の中で出発した。

「彼女たちを死なせてはならない」その一念でこの11日間を支援した朴壽南は、<ハルモニたちを支える会>を発足し、日本の市民のカンパと支援を受け、<被害者の会>はソウルの事務所を拠点に運動を繰り広げていく。 

同年6月、日本政府は社会党の村山富市が首相に就任し、国家による補償の代替措置として民間から募金を集めて被害者へ支給する<民間募金構想>を発表。95年夏、<女性のためのアジア平和国民基金>を発足させるが、被害者らは一貫してこれに反対し、日本政府の法的責任と補償を訴え、再三にわたり来日。記者会見や「国民基金」への直接交渉、関東各地の集会で生き地獄の体験を証言し正当な被害回復を訴えた。

主人公のイ・オクソンさんは、「口は下手だけど太鼓の腕には自信がある」と日本に来るときは必ずチャング(太鼓)を持参した。その腕前で5人の子どもを育て上げた肝っ玉母さんである。持ち前の明るい人柄で出会う人たちを笑顔に変えてきた。2017年現在90歳。病気がちだがその笑顔は韓国の静かな村で、今も健在である。オクソンさんたちのあふれる言葉と訴えは、かつて多くの人々の胸をえぐり、日本人自身もまた自らの課題として国の戦争責任を考え、彼女たちの名復を取り戻す闘いに寄り添った。元軍医の湯浅謙氏は被害者の行動に同行し日本政府の加害の責任を訴えた。

 

当時、村山政権の発案で進められた「女性のためのアジア平和国民基金」は96年夏、政府が医療福祉費として約300万円を直接被害者へ支給することで合意された。

日本政府がそれまで認めてこなかった被害者への国庫からの直接支給の決定は、被害者の会のハルモニにとって、これまでの闘いの一つの結果と受けとめられた。彼女たちは、これを受け取り、なおも法的責任を認めるまで闘うと考え出していった。一方で国民基金の推進者は、会のハルモニと個別に接触し、基金を受け取り、これ以上の闘いをやめるよう水面下で働きかけ、団結していた被害者の会に亀裂を引き起こしていく。そうした最中、日本側は1997年1月に非公開で7名をソウルのホテルに集め、一時金を支給したのだった。

国民基金を受け取った被害者への韓国の支援団体の激しい攻撃は、ハルモニたちに新たな苦悩をもたらした。基金の受け取りは阻止され、やがて被害者自身にふたたび沈黙を強いていくものとなるー。

 

●あれから20余年ー。2015年日韓両政府は「最終的かつ不可逆的」に慰安婦問題の決着に合意した。ハルモニたちの名誉の回復とは何かー。私たちが問われていることは何かー。多くの当事者が旅立った今、彼女たちのたたかいの記録が、その答えを私たちに伝えている。

 

注:会の名称は<元生存強制軍隊慰安婦被害者対策協議会>から94年8月に韓国<従軍慰安婦>被害者の会に改称。

『沈黙−立ち上がる慰安婦』パンフレット(1200円)発売中

解説
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