監督作品
朴壽南監督ドキュメンタリー作品
ぬちがふぅ(命果報)ー玉砕場からの証言ー
2012/132分/SD/日本語・ハングル・沖縄口/ドキュメンタリー
朝鮮人軍属と慰安婦の実相を描いた『アリランのうた―オキナワからの証言』(91年)に続く朴壽南監督の第3作。太平洋戦争末期の沖縄戦における慶良間(けらま)諸島の住民が強しられた「玉砕」、そして朝鮮半島から連行されてきた軍属と慰安婦たちの「玉砕」とは何か―。最新作は、この「玉砕」という美名のもとに強いられた「虐殺」の悲劇の真実を、27名に及ぶ生存者の貴重な肉声で明らかにするドキュメンタリー。
アリランのうたーオキナワからの証言
1991年/100分/16ミリ/日本語/ドキュメンタリー
朴壽南が『もうひとつのヒロシマ』に続き、沖縄戦時下における証言を中心に描いた作品。本土上陸を遅らせるための捨石にされた沖縄には、朝鮮人男性が「軍属」として、女性は「慰安婦」として連行された。1989年から韓国ロケを行い、沖縄戦から九死に一生をえて生還した元「軍属」たちの証言を収録。沖縄の住民たちからは、日本軍による軍属の虐殺や、「慰安婦」の連行の様子や実態が次々と語られる。渡嘉敷島へ連行され国内で初めて「慰安婦」の名乗りをあげたペ・ポンギさんの証言は貴重である。映画製作は「死んでいった人たちへの鎮魂であり、その魂を私たちと共に再生させること」という監督の言葉どおり、鎮魂の舞「アリラン」のラストシーンが印象的。予告編動画
もうひとつのヒロシマーアリランのうた
1986年/58分/16ミリ/日本語/ドキュメンタリー
1965年、日本の植民地支配によって被爆を余儀なくされたコリアン被爆者の実態調査から20年の歳月をかけ完成させた朴壽南の第一作目。当時30歳の朴は広島の原爆スラムに住み込み「ピカに38度線はない」と同胞に呼びかけ被爆体験の証言を集めた。日本の植民地支配によって日本の軍需産業、過酷な炭坑の労働現場などに連行され、または学徒動員で渡日し被爆したコリアンは戦後補償政策から完全に取り残され歴史の闇に葬られていた。彼らの存在の回復をかけて完成した本作は唯一の被爆国日本の反核運動に大きな衝撃を呼び、87年には原水禁世界大会で上映され「日本の植民地支配によって被爆を余儀なくされたコリアン被爆者に日本は国家補償をせよ」とする大会採択を獲得していく。
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