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80年代 沖縄へ

沖縄へ 強制連行された軍夫、慰安婦の足跡を追う

ー真相解明と被害回復のための補償を求める運動へー

 

                 

 

教科書画像.JPG

1984年 

長女の学校での朝鮮人差別、いじめの体験を書いたエッセイ「人魚の恋と死」が、採用された社会科教科書から文部省検定によって削除されるという事件が起きる。

 

1984年6月

毎日新聞に「消えた人魚の恋と死」として発表

在日朝鮮人・韓国人の差別問題 高校教科書から削除「友好親善上まずい」文部省検定

朝日新聞(1984/6/13)​

新倫社資料1981、一橋出版株式会 社会科副読本

慰安婦の足跡
ペポンギ_edited.jpg

ペ・ポンギ 배봉기(1991年)

1987年 韓国へー「従軍慰安婦」問題を提起― 

1987年初めての訪韓で「韓国教会女性連合会」を訪問。朝鮮人の原爆被災に次ぐ国家補償の課題として「従軍慰安婦」問題を提起する。その後「連合会」は「挺身隊研究会」を発足することになる。

 

【韓国内で唯一被爆者の支援もしているこの「韓国教会女性連合会」原水禁世界大会での採択を報告。さらにこの半世紀、戦場の将兵らに性を売って歩いた娼婦に「でっちあげられてきた」従軍慰安婦問題の本質について、沖縄に連行されたペ・ポンギさんが「体を売って歩いた女じゃないよ。騙されて駆り集められた60人の娘たちと一緒に特攻隊員が乗った船で一緒に沖縄の日本軍の陣地に引き立てられたんだ。そこは軍の慰安所で、朝晩私たちは踏みにじられてきたんだ。戦争の犠牲者だ」と沖縄の当局に訴え出た「告発」を伝えた。

(※特攻艇を積み込んだ輸送船で沖縄へ向かったことについて、儀同保(当時18歳、在東京、1944年11月生まれ)も同様の証言をしている。(映画「アリランのうたーオキナワからの証言」)

 詳細は、防衛庁防衛研修所戦史部『戦史業書・沖縄方面陸軍作戦』朝雲新聞社1979年に記載がある)

 十数万ともいわれる慰安婦は、この半世紀、死のように深く重い沈黙に封印されてきた。その真実をはじめて告白した第一声である。私の面前には尹永愛氏と尹美香氏、金愛媛氏。三人は衝撃で体を震わせていた。これまでの定説を根底から覆す私の提起だったのである。(「連合会」は11月に「挺身隊対策研究会」を連合会内部に発足している)。

 私はこの面談で「韓国教会女性連合会」に具体的な提案をしている。

1.被害者の発掘。一人も名乗り出ていない韓国社会で、埋もれている被害者の発掘と発見。まず衣食住の保障と確保。

2.日本の政府に対して、この問題の真相の究明と被害回復のための補償の要求。

3.韓国女性と在日南北同胞女性、日本の女性。三者が連帯する枠組みを早急につくること。

 

 この提案に対して、「韓国で被害者を発掘するのは不可能だと、あまりにも家父長制が深くて沈黙する他生きてはいけないのがこの人たちだ。今韓国にはこの問題の資料一枚さえもない。」というのが現状のようであった。この亡国に加え、性の植民地として二重の被害を負った者たちの名誉の回復こそ早急に取り組まねばならない。これが契機になり、これまでの4年間の交流と共同の闘いの上で、1990年12月には韓国挺身隊協議会(挺対協)が結成され、その代表に尹貞玉氏が選ばれている。

同時に韓国太平洋戦争犠牲者遺族会、裴海元(ペ・ヘウォン)会長らと面談し遺族会にも上記と同じ提案をし帰国した。]

 

 

1989年12月12日 

記録映画「アリランのうた」を創る会結成へ(PDF)

 

1990年5月22日 

外務省へ要望書提出(PDF)

 

 【盧泰愚大統領来日を契機に、戦後未処理の日韓問題の解決について国内の市民団体が政府に要望運動を展開していた。「アリランのうた製作委員会」は製作支援の「アリランのうたを創る会」代表11人と外務省へ要望書をもって最初の交渉にいく。代表のメンバーには、行宗一(カトリック正義と平和の会代表)、穂高守(日本キリスト教協議会)、松井義子(在韓被爆者を救援する市民の会代表)、橘田浜子(山梨平和を語る会、アリランの慰霊のモニュメントをつくる会代表)、他。

要望書は、朝鮮人被爆者の実態の究明とその被害回復のための補償や賠償について。従軍慰安婦とされた韓国をはじめアジアの植民地の女性たちの真相究明と政府の責任、被害者の回復について。しかし外務省のアジア課の課長は、何一つ答えられなかった。韓国の被爆者の救援と補償運動をしている松井議子さんが、記録映画「もうひとつのヒロシマ」があること、そして従軍慰安婦問題の製作を始めていることなどを説明し、行宗一さんは「まるで講義にいったような場であった」と語った。

 

軍夫の資料が次々と見つかるようになる

この交渉の場で、私たちは韓国政府が作成した「倭政時被徴用者名簿」を突きつけ、日本政府側の資料を出すよう要求した。この名簿には、年齢16歳と記された(満14歳)の子供たちの記録が残されている。同行していた朝日新聞、毎日新聞、北海道新聞の記者たちが一斉にスクープとして名簿を新聞で公開した。これ以降、政府の名簿の発表は各社のスクープ合戦となっていく。】

 

1990年5月 「慰安婦」問題、韓国世論を喚起する

韓国で「アリランのうた」撮影を開始

 

【アリランの製作活動と慰安婦の問題提起は旋風を巻き起こした。MBC文化放送、KBS放送、二度にわたって出演(「沈黙の恨」)。インタビューの中で、慰安婦の女性たちに呼びかける。「慰安婦たちは母性の尊厳を奪われた、植民地支配の二重の被害者。性の植民地化につながれてきた「民族の恨」である。年老いた『慰安婦』たちよ。あなたたちは、決して「汚れた、恥ずかしいモノではない。顔を上げ、闇から光の中へ出でよ。あなたたちの汚辱は、歴史の光に洗われ、そしてあなたたちは無垢の少女に立ち戻るのだ。だから恥じることない。どんな目にあわされたのか、言わなければならない」と呼びかける。この語りかけは、「汚い恥ずかしい女たち」として石を投げかけられてきた「慰安婦被害者たち」の沈黙を揺さぶっていく契機となった。

 釜山の作家金文淑氏は、この一連の報道を聞いて、来日。東京の私の事務所を訪問された。この後金さんは「釜山挺身隊問題対策協議会」を独力で発足。慰安婦被害者の発見と名乗り出た被害者への救援活動を真っ先に始め、「関釜裁判原告団」(1992年)を結成する。

火がついた慰安婦問題の報道に、次々に被害者が遺族会に名乗りをあげていった。】

参照

KBS―815特集「沈黙の恨」を製作

MBC―慰安婦とされた少女をヒロインに連続ドラマ製作「黎明の瞳」

MBCテグー生放送出演(1990年6月)

 

「政府答弁」に対する抗議行動ー沖縄戦犠牲者慰霊団を組織

 

【日本に帰り、政府答弁を聞く。政府は「(慰安婦の)女性たちは、将校たちが連れた女たちである」と答弁した。これは前回の私たちの政府要請に対する回答でもあった。

 この国会答弁への抗議行動をよびかける。社会党の清水澄子議員にもう一度国会答弁を行うよう提案。韓国を訪問し、教会女性連合会に韓国の全女性たちの抗議行動を起こすこと、「遺族会」に実態調査を踏まえて沖縄で韓国の被害者を招いて合同慰霊祭を開くことを呼びかける。遺族会はすでに3人の慰安婦女性を発掘し、日本政府に提訴する準備をしていたことから、「アリランのうたを創る会」との日韓合同慰霊祭を行うことを確認し動き出した。

 

※国会答弁:1990年6月6日参議院予算委員会 社会党の本岡昭次議員が慰安婦の実態調査を要請。清水博雄(労働省)が「慰安婦は民間の業者が軍とともに連れ歩いた、調査はできない」と答弁】

 

1990年10月 

沖縄・韓国合同慰霊祭

参議院女性議員懇談会と外務省抗議行動

  

【沖縄の慰霊祭に参加した韓国女性連合会4人が上京。参議院慰安婦問題女性懇談会に参加。日韓の女性約50人がこの懇談会に参加。閉会後、政府外務省へ抗議の示威行動と抗議文書を送った。一方、遺族会は予定通り、軍人軍属含む35人の弁護団が日本政府に賠償請求を提訴する。

 

この合同慰霊祭の目的は長年準備してきた太平洋戦争犠牲者遺族会による日本政府への提訴だった。そして合同慰霊祭の一連の行事を通して発掘された証言は提訴の力となり、記事の通り10月29日、日本政府に対し公式謝罪と賠償を求める訴訟を提訴。

 

「韓国挺身隊問題対策協議会」発足へ

慰霊祭に参加した韓国女性連合会の女性メンバーは、東京へ。政府外務省へ実態調査の要請行動を行い、帰国後の一連の報告会は、挺身隊対策問題協議会の発足式となった。87年私が初めて女性連合会に慰安婦問題を提起してから4年目、挺身隊問題対策協議会の発足に結実したのである。

1990/11/29  挺進隊問題対策協議会 

会長 尹英愛氏からの感謝の手紙が送られる

 

 1994 「慰安婦」復権の運動へ

「沖縄戦の傷跡を取材、在日朝鮮人作家朴壽南さん順調に県内ロケ」

琉球新報(89/6/8) 

 

「軍夫、慰安婦の “恨”を追う 朝鮮人強制連行の歴史を映画に 沖縄で証言を収集」

琉球新報(89/6/1)

 

「強制連行の悲劇に光を 財政危機に支援の輪 全国の融資が『創る会』結成へ」

北海道新聞(89/12/9

 

「アリランのうた」第二作にカンパを 悲惨な歴史掘り起こそう

毎日新聞(90/5/22)

 

映画づくりに熱い思い、朴壽南さん。体制の論理打破へ。映画製作そのものが在日の統一運動。南北超えて女たちが参加。

沖縄タイムス(89/6/24)

 

映画に取り組む女性作家・朴さん、戦争の暗部えぐりだす。沖縄戦テーマに2作目

読売新聞(89/12/17)

 

朝鮮人慰安婦の足跡たどる

日本の戦史から葬り去られるように、存在を否定され続けていた「朝鮮人従軍慰安婦」さらには同じく韓国から強制連行された朝鮮人軍夫の足跡をたどり、全ぼうを解明しようとしている・・・」

沖縄タイムス(90/9/19)

 

 

強制連行の記録を映画に 真の日韓交流をめざす在日韓国女性作家朴壽南さんが私財で

西日本新聞(90/10/9)

「遺骨を返して」沖縄戦戦没者慰霊で韓国関係者ら来沖 日本の戦争責任を訴える

琉球新報(90/10/26)

実態調査を国に要請 朝鮮人“従軍慰安婦”問題渡嘉敷慰霊祭のユンさんら3人

沖縄タイムス(90/10/30)​

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