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写真©朴壽南

​2019年12月12日、朴壽南 監督の<フィルム復元>

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アリランのうた製作委員会

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【パク・スナム プロフィール】

 

1935年  

三重県生まれ。在日朝鮮人2世。

神奈川県在住。

 

1963年    

小松川事件の在日同胞の李珍宇少年死刑囚との往復書簡をまとめた『罪と死と愛と』(三一書房)『李珍宇全書簡集』で注目を集める。

 

1965年   

広島・長崎のコリアン被爆の実態調査に取り組む。

1973年   

コリアン被爆者の証言集『朝鮮、ヒロシマ、半日本人―わたしの旅の記録』(三省堂)刊行。

1979年   

『李珍宇全書簡集』(新人物往来社)刊行。

1982年   

『もうひとつのヒロシマ―朝鮮人韓国人被爆者の証言』(舎廊房出版部)刊行。

1986年   

ドキュメンタリー映画『もうひとつのヒロシマ―アリランのうた』完成。全国自主上映運動開始。

1987年   

同作、原水爆世界禁止世界大会にて上映。戦後初めて「コリアン被爆者への日本政府による補償要求」が大会決議に採択される。

1989年   

沖縄へ強制連行された軍夫、慰安婦の実態調査開始。居を移し沖縄本島、慶良間諸島の住民の戦争体験を聞き取り証言を発掘。

 

1990年   

「アリランのうたを創る会」が発足される。

同年

初めて韓国へ渡る。沖縄から生還した元軍夫、学徒兵、被爆者の証言を集め16mmで撮影。(6月22日より1ヶ月)

 

同年10月、韓国から「韓国教会女性連合会」(挺対協の母体)、「太平洋戦争犠牲者遺族会」代表、元軍夫、遺族を沖縄へ招請し、沖縄・韓国合同慰霊祭を開催(慶良間諸島)。

映画製作活動を通し沖縄戦における朝鮮人の「強制連行」「慰安婦」問題を提起していく。

1991年   

関心が高まる中、ドキュメンタリー映画『アリランのうた−オキナワからの証言』完成。全国自主上映運動開始。「強制連行」「日本軍の性の奴隷・慰安婦」の実相を初めて問題提起した本作は製作段階から反響をよび、上映は約20万人を動員していく。

1992年     

沖縄戦の韓国人「慰安婦・軍夫」犠牲者たちのための慰霊碑建立を呼びかけ「アリラン基金」発足。

1997年   

沖縄・渡嘉敷島に慰霊碑「アリラン慰霊のモニュメント」完成。ペ・ポンギさんの遺族(甥の申東鎮さん)他、元特攻隊員や犠牲者遺族を迎え、除幕式・合同慰霊祭を行う。

1994年10月

<韓国従軍慰安婦被害者の会>15名を支援する<ハルモニたちを支える会>を発足。

2004年   

沖縄本島、慶良間諸島の沖縄戦の生存者の証言を収集、撮影クランクイン。

2012年  

ドキュメンタリー映画『ぬちがふぅ(命果報)−玉砕場からの証言』完成。

2013年   

同作、あいち国際女性映画祭正式招待。山形国際ドキュメンタリー映画祭2013特別招待 

2014年  『ぬちがふぅ(命果報)−玉砕場からの証言』韓国語版完成 

韓国釜山平和映画祭・大賞<夢見る平和賞>を受賞。

2016年 

6月 4作目ドキュメンタリー映画『沈黙』ソウル国際女性映画祭映画『沈黙』正式招請

9月 同作、韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭・特別賞<勇敢な雁賞>受賞

 

12月 第19回韓国KBS海外同胞賞受賞(文化芸術分野)

2017年12月 『沈黙−立ち上がる慰安婦』日本公開

​※「長い闘いの記録ー年譜・朴壽南」

『沈黙−立ち上がる慰安婦』パンフレットに収録

 

朴壽南 (パク・スナム) 박수남

【プロフィール】2013年10月 監督のことば

1935年12月、三重県生まれ。移住した横浜で10歳の夏、日本の敗戦と祖国の解放を同時に迎える。

1948年、38度線を境界に独立した祖国に二つの国家が樹立。南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国。80万人にのぼる同胞社会も南北に分断されていく。皇国少女から朝鮮民族の子へ。しかし求めていた民族のアイデンティティは互いの存在を否認する南北の分断によって、引き裂かれていくのだ。「お前は南の者か、北の者か」。

朝鮮戦争からベトナム戦争へ-。そして58年、この私を衝撃したのは小松川女高生殺し事件である。

この事件は犯人自らの通報によって発覚、当時の世間を震撼させた。逮捕されたのは定時制高校の「金子鎮夫」、犯行当時18歳2カ月。日本名「金子鎮夫」と名乗っていた少年は朝鮮人李珍宇(イ・チヌ)としてセンショーナルにデッチあげられ、前人未到の殺人魔として断罪された。少年は22歳で絞首刑によって命を絶たれた。その死の一年前、私は同胞社会を二分していた北の朝鮮人総聯合会から「極悪非道な殺人魔は在外共和国の公民ではない、事件の関与から身を引くように」と宣告される。しかし私にとって李珍宇は私自身なのだ。これがきっかけとなって私は地上楽園の国、共和国から追放され反国家人物として否認されていく。北と連帯している日本の革新(進歩的)団体や党派、知識人、マスメデイアからもいっせいに排斥されていく。植民地支配の責任を認めない日本の国家、更に南北の国家からも遺棄・抹殺されてきたコリアン原爆被爆者、「従軍慰安婦」らの存在の回復は、これを阻む者達との壮絶な闘いであった。