監督 朴壽南 完成にご協力ください
ぬちがふぅ第2部<玉砕の真実―座間味・渡嘉敷―>(仮題)
2012年『ぬちがふぅ(命果報)−玉砕場からの証言』に続く沖縄戦の真実を描く第2部は、前半・後半3時間におよぶ生存者による証言ドキュメンタリーです。『沈黙−立ち上がる慰安婦』につづく第5作目。仮編集は終え、ポストプロダクション(仕上げ編集)のため支援金を集めています

宮平春子(当時18歳)宮里盛秀の妹。
兄が玉砕の命令者にしたてられて以降30年の沈黙を破り初めて真相を告白する。


大城澄江 米軍上陸前夜から軍と共に行動する。梅澤隊長の玉砕命令はなかったとする根拠となった宮城晴美著『母の遺したもの』所収、宮城初江さんの手記に沿って実際の行動を検証する
あらすじ
1945年3月25日。沖縄県、座間味島。米軍の上陸を目前に島には「玉砕せよ」との軍からの命令が伝達された。愛する者の命を絶たねばならなかった玉砕の悲劇の記憶は今もなお耐えがたい傷を残している。しかし島の人々にとって定説であった「軍による玉砕命令」は1980年代に入って「村の助役の宮里盛秀による命令だった」とねつ造されていく―。
2005年夏、梅澤裕(座間味島元戦隊長)らが「自決命令はくだしていない」と岩波書店と作家、大江健三郎氏を提訴したいわゆる「集団自決訴訟」が進行する最中、2006年から2008年にかけ、取材は玉砕を生き残った住民、宮里盛秀さんの遺族などおよそ30名から数々の重要な証言をえた。2008年クランクアップからすでに10年、原告の梅沢裕も、遺族宮平春子さんも亡くなった。
残された証言だけが、「玉砕命令」の軍の責任を告発するものとなった。
金城鶴子(渡嘉敷・当時16歳)
戦後初めて一家が玉砕した森へ足を踏み入れる

金城重明(渡嘉敷・当時16歳)
愛するがゆえに愛するものの命を絶つことが正義と
信じて家族に手をかけた。
新作で訴えたい真実ー
2012年5月那覇市の試写会
製作協力金を募っています。
1口2000円(何口でも)
5口以上のご協力を頂いたかたは、映画エンドロールにお名前が入ります。
お申し込み方法:振込み用紙に、必ずお名前・ご住所・お電話番号をご記入の上、「ぬちがふぅ第2部製作協力」とお書き添えいただき、以下の口座にご送金ください。
00210-7-56091
「アリランのうた製作委員会」